苦いカラメルがかかったプリンが好きだ。
昔はプッチンプリンが大好きだった。ハウス食品のプリンミクスでボール1杯のプリンを作ったこともある。
ただし、年とともに、あまいこってりとしたプリンだけでは物足りなくなってきた。
味の単調さに、飽きてしまうのだ。
だから苦いカラメルをかける。苦味がはいることで、グッと口に合うようになる。
昨日食したクレームブリュレもそうだった。
ただ甘いだけではなく、洋酒がはいったクリーム部分。
出される直前に作られた表面のパリパリ部分は、スプーンをいれると、カリッという音を控えめにたてながら、スプーンと共にクリームへと沈む。
あたかもクリームが主役のように思われがちだが、口の中ではクリームだけが引き立つのではなく、脇役と思われるカラメルがそのクリームで味が引き立つ。お互いがお互いを引き立てているのだ。
ミルフイユも同じようなものだ。
構造はプリンと違って、パイの層にクリームが挟まれている。ただし、パイ部分が甘くては、クリームのおいしさが引き立たない。パイ部分が湿りすぎていたら、サクサクととろとろを口の中であわせる楽しみがなくなってくる。
質の異なる二つが合わさることは、相乗効果を生み出すのだ。
いや、訂正しよう。
質の異なる二つだからこそ、美味は生み出されるのだ。
ハレな気分と凹んだ気分しかり。
男と女しかり。
企業のコラボレーションしかり。
クランボンの新アルバム「てん」の中に「バイタルサイン」という曲がある
不安と 不安の その隙間に 何より 変えがたい いとおしい暮らし
パイ ト パイ ノ スキマ ニ ナニヨリ カエガタイ イトオシイ クリーム
嗚呼。なんて大事なことが目の前に落ちていることに気がつかなかったのだろう。
らっきょには中心がなく、皮がらっきょを構成しているのと同様、日々不安を感じることがあっても、それは毎日の生活のおいしさを作る1パーツなのだろう。もしかして、人間と猿の決定的な違いは、人間が「らっきょは皮から構成されている」ことをわかっていることなのか?
こんな
「ちがうだろーがっ」というつっこみがきそうな妄想を繰り広げながら、今日は、自分のために、マキシムのナポレオンパイを買って帰ろうかと、背伸びをする午後3時。。。