昨晩。
スーパーが開いている時間に帰ることができたので、フラフラと立ち寄りました。
終了時間前の叩き売りに見事あたり、天然ぶり(2匹←違うよっ、2切れだよっ)1470円を半額にて入手。
しめしめ、今日は自宅で手作りモード突入だ!&翌日のお昼は和食弁当だ!と決定の上、食材をがさがさ買いあさり帰宅。
玄米ご飯を仕込み(吸水時間6時間)、ブリを漬け汁にいれる(焼いたときに焦げないように下味)など、翌日の下ごしらえをした後に、
厚焼き玉子+ポテトサラダ+ご飯+味噌汁なんていう「
嗚呼、すばらしき日本の食事@自宅」を満喫しました。
でもね。
そのまま順調にいくとおもったら大間違い。
それだったら、こんなブログのネタにはなりません。ここはお・ヤ・ク・ソ・ク。
今朝もいつもどおり、寝過ぎモードで起き、ご飯を炊き、ブリ照り焼きを作り、ひとり
「マジヤバクネ?」と汚ギャルのまねをしながら時間を過ごしたわけです。
ただいま、お弁当を開けてみました。
ブリの照り焼き⇒よーし
厚焼き玉子(昨日の残り)⇒よーし
ポテトサラダ(これもまた昨日の残り)⇒よーし
???
あれ?????
ご飯が入ってない(汗)。
主食を忘れました(涙)。
多分、「蒸らさなきゃー」といって、そのままにしてあるのでしょう。
土鍋の火を止めたことまでは覚えてますからねぇ。
今日の昼も、まるで居酒屋メニューを食中です(涙)。
ちなみにこれが↓弁当箱。インド製のもので、インドではこれにカレーをいれるそうです。
カレーをお昼に持ってくるっていうのは抵抗があるのでやったことはありませんよ。
アジアハンターというサイトから部分引用します。
ヒンディー語で弁当箱の事を『ダッバー』という。インドの弁当箱は2段から3段の重ね式で、素材はステンレスのものが現在主流である。
これは単に『箱』という意味でも使われる。イスラムやキリスト教、ジャイナ教、スィク教など種々雑多な宗教が混在し、ことに階層や地方ごとに別個の食習慣を持つヒンドゥー教徒が多数派を占めるインドでは、それぞれに食のタブーや戒律といったものが存在する。ヒンドゥー教徒が菜食を重んじる事はよく知られているが、肉食、それも牛を日常的に食すヒンドゥー教徒もケーララ州には存在するし、一般に肉食へのタブーが無いイメージのあるスィク教徒の中には厳格に菜食主義を貫く人々もいる。イスラム教徒も基本的にハラールという、同胞によって捌かれた肉以外の肉は不浄視されるが、平気で飲酒するムスリムも多い。
このように10人のインド人が居れば10通りの食習慣が存在する国がインドなのであり、世界広しといえどここまで複雑な食体系を持つ国も無い。
従って、例えば農村などの村落共同体に於いて、食事時になるとそれぞれの家に帰りそこで母または妻が作った食事を家族と共に摂れば何も問題無い。(この考え方は今でも多くのインド人が持っていて、大概の人は『お母さんの料理が一番』であると考えている。これは決してマザコンではなくそのような伝統に根ざすものである)
しかし近代に入り都市生活者などが紡績工場といった労働集約型の産業に従事する機会が多くなるにつれ、上述の食習慣差による問題が現れる。近代の都市化はそうした食を含めたインド人の宗教的慣習を希薄にさせたが、一方で伝統を重んじたり食の習慣を継続しようとする人々も出てくる。また外食よりも家庭食の方が安く済む。そこで都市部では労働者が自転車にスチールの弁当箱をくくりつけ、出勤するのがインドの朝の風景である。そうした都市部の中でも最も弁当文化の発達したのがボンベイ(ムンバイ)で、弁当を各家庭から職場への配達のみを仕事にした『ダッバー・ワーラー』という人たちも居る。彼らは各家庭の母や妻が詰めた弁当を各学校・勤務先に列車を使って届けるのが仕事で、『ダッバー・ワーラー』はボンベイ市内に約5,000人存在し、約20万の弁当を配達している。彼らの組合も存在し、現会長はSopan Mareである。
こうしたインドの弁当箱がいつ頃誕生したのかは不明だが、19世紀頃には既に『ダッバー』は存在していたらしい。この重ね式・金属製の弁当箱は広くアジア全土に見られるものだが、おそらくインドのそれが最も古い歴史を持つものであると思われる。