1940年にマクドナルド兄弟が始めたレストランは、有名な「スピード・サービス・システム」のキャッチフレーズと、工場式のハンバーガー製造方法、そしてセルフサービスの仕組みにより、1948年以降に特に有名になった。
1954年、企業家のレイ・クロックがマクドナルド兄弟に、そのシステム販売を提案し、自ら1955年に"McDonald's Systems Inc."(マクドナルドシステム会社)を設立。1960年には、社名を"McDonald's Corporation"(マクドナルドコーポレーション)に変更した。このクロックがマクドナルドの拡大路線を築いたのであるから、彼が現在のマクドナルドの大きな貢献者であるということは過言ではないだろう。
クロックのマーケティング戦略のうちの一つは、
特に子供を商売の対象とすることだった。1960年代初め、ワシントンD.C.でマクドナルドのフランチャイズ権をとって営業していたオスカー・ゴールドスティンという人物が、ウィラード・スコットというピエロが所属するサーカスのスポンサーについた。だが、出し物が中止となってしまい、ゴールドスティンは彼を専属のピエロとして雇うことにし、スコットは、マクドナルドにちなんで、「ロナルド・マクドナルド」 という役名で呼ばれることになった。このキャラクターが広告に出ることにより、マクドナルドのチェーン店はアメリカ全土に広がることになり、その後のキャラクター開発へとつながった。
マクドナルドコーポレートによると、ドナルド・マクドナルドに関して分かっているのは
好きなアルファベットはM
好きな色は赤と黄色
話せないのは、フライドポテト語(注:私もしらない言葉だ)
スカイダイビングは経験ズミ(これはガチャピンと同レベルということだ)
だけである。
ドナルド・マクドナルドは 「
みんなのリーダー的存在」で年齢も性別も設定されていない。いや、設定されているといったら誤解されてるかもしれない。
ロナルド・マクドナルドは設定されているのではなく、年齢も性別もなく
存在しているのだ。
そのため、CM撮影時の控え室も「
ドナルド様」になり、
店舗訪問の時でさえも、ドナルドはそのままドナルドで来て、ドナルドで帰り、マックの店員には、ドナルドに関する情報は何も伝えられない。
したがって、ドナルドと接触した(もしくはドナルドの情報を持っている)人はとても貴重な存在になるわけだが、そのうちの一人は、休憩時間にドナルドと、日本語で会話をし、「
全国にドナルドは7人いるんですよ」という情報を得ている(
このひとは近くでよくよく見ると若くてなかなかのイケメンだったとのこと)。ただし、某情報筋によると2000人のドナルドマクドナルドがいるという説もある。
また
別のある人によれば、「
ただ、私の同級生のお父さんが若い頃ドナルドをやっていた?そうです。バリッバリの日本人です。」という話もあるし、海外に目を向ければ、やさぐれたドナルドも発見されている始末。
いったいドナルドは何者なのか?
誰もが知りたがっているところであるのに、こんなにウワサが飛び交っているのに、
日本マクドナルドの広報室に問い合わせても、
「ドナルドさんはドナルドさんです」ときっぱりと門前払いを喰らうのである(トリビアの泉でやっていた)。
ただし、このような情報がとびかっていることに、どうやらドナルド・マクドナルド自身も心苦しいらしく、マクドナルドのHP内の「
ドナルドのうわさ」というページで、以下の4つの疑問に関し回答している。
ドナルドってしゃべるの?
ドナルドはダンスにはまってる?
ランランルーってなんだ?
ドナルドの靴って何センチ?
本当はここで画像を見せたいところなのだが、私の技術力不足でお見せすることができない。下記サイトにアクセスし、ぜひ
ご自身の目でドナルドの秘密を知って欲しい。
ドナルドはこれらの疑問に回答するもの恥ずかしいらしく、微妙な間や緊張した張りのある声から伺える。
もしかしたら、あなたはこの動画をみることで、ドナルドのとりこになるかもしれない。
その場合には年中日本全国を飛び回っているので、訪ねてみたらいかがであろう。もちろん,事後報告は
必要である。
諸君の苦笑いに耐える健闘を祈る。
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